ペルーアマゾンの自然文化を支援する会(1992〜1998)Peruvian Eco-Culture Felloship (PAECEF)

ペルーアマゾンの自然や文化をはじめ現地の理解を深めるため、日本で展示イベント等開催、ならびに、美術による環境教育、医薬品や連絡網整備の緊急支援など、現地への支援活動を実施した。(1992〜1998)

*当時の代表、永武ひかるが活動を振り返ります。

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絵を描きながら自然と向き合う子どもたち

1990年代、撮影取材で通っていた南米、そこで縁あったペルーアマゾンの絵画学校からサポートを頼まれました。それがきっかけとなり、「ペルーアマゾンの自然文化を支援する会(PAECEF)を立ち上げ、1992年から1998年、非営利活動を行いました。

写真上:90年代、ペルーアマゾン絵画学校パブロ・アマリンゴ校長と生徒たち

 その絵画学校があるプカルパは、当時ペルーきっての木材産業で発達してきたため、町の近辺にはすでに原生林はなく、アマゾンにいながら身のまわりの自然のことを知らない子どもたちも増えていました。そこで美術によって自然を大切に思う気持ちを高めようと一つの環境教育が始められていました。

 校長は画家のパブロ・アマリンゴさん。かつて、薬草などを使って病気を直してきた伝統的な治療師でした。その経験から身を持って自然の豊かさを知っている。もともと校長が自宅で近くの子どもたちに絵を教えていたのを、1988年、文化人類学者の協力とともに学校として設立したのでした。

 といっても、たったひと部屋の教室で、先生も奉仕の活動。けれども、子どもを中心に若者から大人までが、絵を描きながら、学び、創造力を広げていました。「この木は薬に使われてきたんだ」「この鳥には古くから言い伝えがある」。密林の大自然を繊細に色鮮やかに描きながら、アマゾンの自然や伝統文化も受け継いでいました。

 この教育活動を通して、校長はブラジルで地球サミットが開かれた1992年、国連グローバル500賞(環境に貢献した人に贈られる)で表彰されました。

写真上:90年代、ペルーアマゾン絵画学校

 活動の主旨に共鳴しただけでなく、何よりも、校長先生や子どもたちの姿に心を動かされました。慎ましい暮らしの中で、地域の子どもたちに無償で絵を教え、物心ともにサポートをする校長。そして、夢中になって絵を描く子どもたち。絵具など教材支援に始まり、校舎修復の寄付集めや、アマゾンの自然や文化にふれてもらえるよう日本で絵画展を開催。南米から校長と文化人類学者が来日しての展覧会や講演会開催を機に、以降、数多くの展示イベントを行いました。

 草の根活動がいまほど根づいていない当時、熱帯森林保護団体(RFJ)の南研子代表には、NGOのいろはから励ましまで、とても助けられました。いまは閉館となったアマゾン民族館と自然館の山口吉彦元館長にも大変お世話になりました。

写真上:90年代、ペルーアマゾン中央密林地方アシェニンカ族の村での緊急連絡網として無線設置

 手弁当の助っ人スタッフ、さらに多くの方々の応援とともに、現地では人の輪が広がる。その一方、当時のペルーではテロ活動が発生していた緊急支援を必要としている地域と人々の現状を目の当たりに。そこで対象を広げ活動を展開、中央密林地方アシェニンカ族の人々の地域における緊急連絡網としてラジオ無線設置、住民の自立のための機器導入、北部カワパナ地方の健康医療改善事業などを行いました。

 当時は無我夢中でした。けれども、拡大するプロジェクトを前に、岐路に立たされることに。ボランティアという立場での限界、出口の見えない状況に切りのない支援活動、他国の政治や社会事情に踏み込めない空まわり… そこでアートで伝えるという展覧会を企画し、ひと区切りついたところで閉会としました。そして、あらためてカメラを携え、東ティモールの撮影取材に行ったことから、ワンダーアイズプロジェクトへとつながりました。

これまで、多くの縁があり、
協力があって、できたことがありました。
そのつながりから、また、あらたな希望が
生まれることもあるのではと、
アースハンズ Earthandsの一歩を
始めることにしました。
まったく未知数ではありますが、
応援ご協力いただけることを願い、
同時に、いろいろな出会いや
コラボレーションが生まれることを
楽しみにしています。

アースハンズEarthands代表 永武ひかる